ベルリンから人生敗者復活戦。

ワーキングホリデーの失敗談を綴る。その失敗の過程と、失敗から出直す、敗者復活戦の過程も勝手に配信する。現在はベルリン→東京へ移住済。海外経験後の帰国生活についても配信中。

【東京徒然草】コロナ禍、「夜の街」という言葉で一括りにされて消え去ろうとしているBAR文化に育てられた私がお伝えしたいこと

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私の社会勉強は赤ワインから始まった。ただの一般的な大学生であった私が本質的に社会に触れたのは、神戸にある7畳ぐらいの小さなスペインバルだった。初めての彼氏や大学でできた友人との距離感がつかめず、友達を失い彼氏にも依存し始めた時に「自分の居場所を広げなければ」と思って飛び込んだのは神戸三宮のBAR界隈だった。単純にも「一人で飲みに行けるお店があれば、強くなれる」そんな気がしたのだ。

 

通えるBARができた後には、塾講師のバイトを辞めてスペインバルで働き始めた。マスターや常連客の居心地の良さに甘やかされて、カウンターの後ろで働いた後は、カウンターの前に移動してお客さんとお酒を飲む日々。学校や友人、恋人以外にも自分個人としての場所を切り開くこと。慣れない世界でもみくちゃにされながら私は自我を形成していった。結果として強くなりすぎた私は彼氏とも別れ、代わりに神戸の面白い大人たちとの交流を深めていった。若干二十歳そこそこの小娘が、海千山千で洒落っ気のある神戸の大人たちと肩を並べて飲み明かすなんてとても贅沢だったと思う。

 

ビールの美味しい注ぎ方やワインコルクの抜き方だけでなく、「煙草を吸われている方の灰皿に気を配る」だとか、「目上の方々と乾杯する時はグラスを少し下から傾けなさい」など、飲みの場でのマナーを教わったのも全てバーカウンターだったし、「『でも』や『だって』という否定語から会話を始めてしまう癖は可能性を狭めてしまう」など、同世代の友人からもらうアドバイスとは違う指摘を受けたのもBARだった。

 

「ほう、ちょっとは賢い学生なんやなあ。お前、潰してやるからなあ」と初対面で私に言った社長さんは、10年経った今でもご縁が続く飲み友達だ。その時私が返した言葉は「どうぞ、潰してみて下さい。でも同じだけのお酒を一緒に飲んでくださいね」だったんだから相当に生意気だ。その人はガハハ!と笑っていっぱいお酒をおごってくれたし、結果として「明日死んでもいいと思っている」と豪語するほどにクソ生意気だった私を嗜めたり、「お前はそのままでいいんだ」と言って背中を押してくれたり、「俺はもう還暦過ぎたけど、次は東京で飲もうや」と連絡をくれたりと、今でも仲がいい。何故にそんなに馬が合うのか説明ができないけど、節目節目でお酒が飲みたくなる根底には、世代を超えた尊敬があるからだと思う。ただの酒飲み友達、されど酒飲み友達なのだ。

 

思い返せば、当時のクソ生意気な私に真正面から説教をかませる大人という存在は貴重だった。私にとってバーカウンターで並んでお酒を飲む人の経歴も肩書も年齢も関係がなくて、話していて面白いか、不快じゃないか、基準はそれしかなかった。大人達はその無謀さと貪欲な知識欲を面白がっていたんだろうし、コネもお金も期待していない若者がただ「アナタとの話が面白いから」と言ってグラスを合わせてきたら一杯ぐらいは付き合ってくれた。私は単純に「話が聞きたい人から話を聞く」ことができる贅沢な時間を享受していたし、だからこそ赤の他人でも「お前のここは損するぞ!」だとか、「今お前が勉強していることが羨ましいぞ、もっとやれ!」とその人達に言われたら素直に受け入れることができたのだと思う。

 

世間的にBARに通う女の子のイメージは「お酒や男にだらしない、寂しがり屋だ」と思っている人が多い気がするが、私がBARに通っていた理由は「面白い人と会話がしたいから」それだけだった。アルジェリアでフランス語通訳をしていた方と映画談義をしたり、ファンも多いグラフィックデザイナーさんと好きな小説家の話をするのが楽しかった。「最近気づいたんですけど、やっぱり地球は私を中心に回っていないんですね」と言えば、「あら、今でも私を中心に回っていると思っているわよ?」と返してくるマダムがいたり、「若気の至りは使い倒せ。使い倒したら還暦を待て。還暦がきたら『ボケてんねん』のカードが使えるようになるよ」と教えてくれるご老人もいた。

 

尊敬できなかったのは「飲み方が汚い大人」で、自分が飲み方で失敗したときは反省した。お金がある無しには関係なく、BARでの振る舞いが恥ずかしい大人にだけはなりたくないと思っていた。人の話をちゃんと聞けない人、人が嫌がっている空気を読み取れない人、マスターへの態度が雑な人、そして酒の量を把握できていない人。20代序盤を散々酒場で過ごしたからか、29歳で東京に出てきた以降びっくりするぐらい飲み歩いていない。若いうちに酒場の楽しさを濃厚に味わえたからか、焦って取りに行くカードではなくなったのだ。手元には、BARで育てていただいた経験値が残っている。

 

年を取ることにネガティブな印象しかなかった私に「大人ってこんなに自由でいいんだ」と思わせてくれたのもBARだ。家族でも先生でもない、ただその場にいた大人が社会を教えてくれた。中には面白がったり、ふざけたり、からかっていた人もいただろうけど、BAR文化を大切にしている人ほどBAR文化に入ってくる若者を大切にしてくださった。若者が続かないコミュニティが栄えないのは、どのカテゴリーでも同じなのだ。

 

今、コロナ禍で「夜の街」という単語でBARもひとくくりにされ、コロナ対策をしたり席を間引いて接客しているお店でも営業が厳しいという。それでも常連さんに愛されているお店は今も踏ん張っているが、どこまで耐えられるかは分からない。東京にいる今は、通えないお店の未来チケットを買ってサポートするしかできないが、私も育ててもらったお店にはずっと残っていて欲しいと思う。BARを好きな方は素晴らしいBARを他の方にもこっそり教えたりする。東京で働いていても、関西に出張される方で「この人はあのお店を大事に使ってくださる」と思える人には、大切なお店の名前をお伝えする。少なくとも私が経験したBAR文化は「ただ酒を飲むところ」ではなかった。BARはまさに社交場であり、年齢差も関係なく会話を楽しめる。色恋だって発生するだろうが、それは付属品でしかなかった。

 

BARで学んだことが実社会で何か具体的に役立つことなんて、就職時の面接で目上の方と話しても敬語に苦労しないだとか、細かい相手の反応に気づきやすくなったとか、色々あるかもしれないけど、それは表面にみえるもので、一番は様々な種類の大人を一様に見ることができたことだと思う。どんな大人になりたくて、どんな大人になりたくないか。学生のうちに酒場の大人をカウンターの中から冷静に見ることができたのは、とても良い経験だった。

 

コロナをきっかけに様々なビジネスが淘汰されていく中で、素敵なBARが消えてしまうことは本当に悲しい。例外はもろ手を挙げて認めるけれども、少なくとも私が経験したBARは次世代に引き継ぐべきものだった。「大人になるのも楽しいぞ」「だけどダサい大人にはなるなよ」と教えられた、貴重な社会経験だった。

 

良いBARが今後も残りますように。

そう思えば、東京でも良いBARがあれば積極的に通ってみるのもいいな、と思い直した夜。