ベルリンから人生敗者復活戦。

ワーキングホリデーの失敗談を綴る。その失敗の過程と、失敗から出直す、敗者復活戦の過程も勝手に配信する。

自閉症スペクトラムASDが海外移住したら楽に生きられるのか?

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今日はいきなりだけれども、最近気になっていたことに関してまとめたいと思います。自分が海外に移住した大きな理由は「日本社会での挫折から立ち直りたかったから」とどこかに書いたけれども、全くもってそれに尽きるのです。私は多分小さい時から「変わった子」として育ってきて、なまじ少しだけ成績が良かったことから特に問題視もされず、そのまま社会人になってから「生き辛さ」が爆発しました。石垣島のクリニックでASDと診断されてから人生を考え直し「“ASDという個性”と共に生きる」と決めて海外移住を実行したんですね。

今日は「生き辛さを抱えているASD」の方々が、その生き辛さは日本社会固有の特徴から発生しているのではないか、海外に移住するだけで緩和されないか、そんな風に考えた時、私の個人的な体験が何かの参考になれば幸いです。

目次

ASD、自閉症スペクトラムとは?

ASDとは自閉症スペクトラムの英語略称で、現在話題の「大人の発達障害」の一つです。しかし自閉症といっても映画「レインマン」のダスティン・ホフマンのような数学に滅法強く日常生活に支障が出ているようなサヴァン症候群に近い自閉症から、健常者とほとんど変わらないタイプまで度合いがあります。その黒から白に変わる、グレーゾーンの人たちが自閉症スペクトラムと呼ばれます。「空気が読めないなんて、お前はアスペか?」とネットで揶揄されることもあるアスペルガー症候群もASDに含まれています。私は白に近い灰色で、コンディションによっては灰色も濃度を増しているかもしれません。

一般的には「発達障害」と言われてはいますが、私は“障害”ではなく“個性”だと定義したいですね。もちろん難しい部分もあるのだけれども、全てが不利でもないし、この個性のおかげで達成できたことだってあるのです。私の実体験を多分に含めながら、なんとなくでも「こんな感じなのか」とふんわり分かっていただけたら幸いですし、当事者の中には「海外移住ってどうだろう?」と考えたこともある人がいると思うので、その方々には一例を示したく、今日は全部書いちゃうことにしました。

ASDが生きづらい日本社会?

「ASDってADHDとどう違うの?あれ、ネガティブモデルで有名だった栗山類はどっちだったけ?」今、なんとな〜くの知識を総動員しても明確にわからないな、って方。いきなり言われても分からないかと思いますので、詳しくはこちらの記事とか読んでください。

style.nikkei.com

ざっくりとした主な特徴として、私のふんわり定義ではADHDは多動性と衝動性、ASDはコミュニケーションが不得意な所が特徴的かと思います。ASD の特徴としてよく上がるのが下記3点かな?

⑴こだわりが強い

⑵一点集中型

⑶対人関係が苦手

確かに⑴と⑵も大変そうに見えるけれども、逆に「コレと決めた分野」では爆発的な集中力と技術力を発揮しやすいので、プログラミングやアート関連など、その道を極めることができます。脇目も振らないのでゾーンに入ったら強いです。しかし、辛いのが⑶ですね。対人関係。思わせぶりな女子から「あの人ってねえ、ちょっと、アレよねえ?」なんて言われても一切わかりません。汲み取れないとかいうレベルではなく「何を言ってるの?それ私に聞かせる話?私にどうして欲しいの?え、これ悪口?なんだコレ?」って混乱します。つまり、本音と建前を使い分ける日本社会は私たちのような人間には結構難しい社会です。悪気なく、思ったことを素直に発言しちゃうことも多いので、学生時代は良くて「不思議ちゃん」悪ければ「KY」社会に出たら「ただの常識のない失礼な人」になっちゃいます。これ、本人は悪気もなければ気をつけよう、頑張ろうとしているので失敗するたびにショックを受けています。「またダメだった、いつもダメなんだ」と激しく自己肯定感が下がるので、発達障害から鬱に発展することも少なくありません。だから見えないような薄い膜が常に私と他人の間にあって、その膜を越えていくことはできないのではないか、それぐらい疎外感を感じることもあります。

私の日本での、葛藤と生き辛さ

⑴日本社会が難しかった

20歳まで未経験だと恥ずかしいだとか、30歳まで結婚できなければ売れ残りだとか、無視すればいい世間のプレッシャーや価値観が気になってしまっていました。教科書通りの作業や仕事が得意な分、教科書通りに世間体や誰からか与えられた価値観に押し潰されそうになっていました。いい大学、いい会社、いい仕事、そこに囚われていたとも思います。

⑵人の目を気にしすぎる

コミュニケーションが下手な分、ここも真面目に改善しようとしていました。まるでロボット、AIのように「普通の人間がしそうな受け答え」とかを想像して動くも失敗したり。ある時は「きっとこう話したら相手が喜ぶだろう」と思ったままに行動して、そのまま相手が喜んでくれてアホみたいに気に入られたり、可愛がられたりもしました。でも全く相手が読めないと怖くなって避けてしまったり。読めない人、というのは話してくれない人ですね。わからない分素直に話し合いたいと思っているのですが、話し合いを基本的に好まず「察しろ」という日本固有のコミュニケーションの暴力を駆使してくる人はめちゃくちゃ苦手でした。

⑶真面目すぎるが故に

とりあえず人の目がきになる、分かりやすく人に認められる人間でいたかったので会社勤めが全てになっていました。「BB会社のA さん」で自分を図り始めていたし、そこがダメだと全部ダメ!みたいに100か0か思考が極端になっていました。 

具体的に仕事で難しかったこと

日本的なコミュニケーションが分からないので、行間を読む、目上の方への礼儀、距離感が掴めませんでした。礼儀は教科書通りにはできるけど、明文化されていない細かいところが分からないんですね。他には。。。

⑴一線を引いた関係が徹底してしまい、プライベートで同僚と遊びにくい

⑵距離感がつかめず、可愛がられすぎると相手の懐に入りすぎる

⑶同年代の先輩と遊べない

⑷礼儀や感謝に謝罪など、加減がわからない

⑸どこまでも徹底してしまうから突然パンクしちゃう

もう可哀想ですね。この時、相談相手を持つ、リフレッシュの趣味を持つ、適切な対応(ヘルプサインを出す)などができなかったことで日本の会社ではうまく適応できませんでした。でもまあ、働きまくっていたし考えまくっていたので、日本の会社で得た経験はかなりベルリンでも役には立っているのですが。(外国人が日本社会に対して戸惑うポイントが、まさに私が悩んできたポイントと合致していたりね)

ASDと診断されたら「安心した」

こんな風に日本社会で徹底的に「なんか私、クソほどダメ社会人じゃないか?」と勝手に落ち込みまくり、心療内科などに通うことになり、そこで初めて私は自分がASDだと知りました。診断がつくことで安心したのは「ああ、自分はちゃんと努力してきたんだ。頑張りが足りないわけでもふざけているわけでも失礼な人間でもなくて、本当に苦手だったんだ」と思えたこと。私は真面目に自分が悪いのだとばかり思っていたので、確かに「走るのが苦手な人が早く走る練習はできても、走るのが得意な人に簡単に追いつけるわけではない。しかも走るのが好きでもなければ、走るのが好きな人に勝てるわけがない」そんな風に考えられるようになりました。

それからASDを調べてみて、自分に当てはまる特徴の多さに笑ってしまったのと、そんな人達の中でも成功している人がいることを知りました。彼らは自分の特徴に合わせた仕事を見つけ、社会で活躍していました。また海外に拠点を移してから気持ちが楽になった人がいることも。ここから「いつか海外で働いてみたい」という思いから「もう、海外に移住するしかないんじゃないか」と考えるようになったのですね。 

ASDが海外移住を目指して体感したメリットとデメリット

ここからが本題ですね!今までが「ASDって何?」と言う方々へのイントロダクションだとしたら、今からが当事者の方々に向けてシェアしたい私の実体験と感想です。長くなるので箇条書きでまとめます。 

海外の仕事に期待していたこと

⑴ビジネスとプライベートに区切りがある

⑵ルールはルール、人情や気遣いで疲れない

⑶コミュニケーションがダイレクト

⑷主張と質問が歓迎される

海外の生活(ベルリン)で期待したこと

⑴アートが多い

⑵自然が多い

⑶プライベート、人生を楽しんでいる(仕事オンリーじゃない)

*ASDはアート方面に高い関心を持つことが多いといいます。

私も例外ではなく文学、映画、絵画など定期的にアートを摂取しないと息切れが起こっていました。そして頭でっかちに成った時にはランニングしたり、海で泳いだり、自然と接することがとてもいいと学びました。

海外で実際に良かったこと

⑴確かにコミュニケーションはストレート

⑵ビジネスとプライベートは区切る

*プライベートで仲良くしておかないと仕事しづらいとかない

⑶ルールはルールでわかりやすい

⑷外国人だから特に社会からの期待もないし柵もない

実際に享受した生活(ベルリン)でのメリット

⑴気持ちに余裕が出てきたので自炊が増え、食事を大切にするようになった

⑵プライベートがハッキリすることでボルダリングという趣味を見つけ、適度に運動するようになった

⑶大好きな映画、アート関連のイベントも多く、アート系の友人との時間を心から楽しんでいる

意外にツライこと

⑴外国人であるが為の苦労は多い(ビザや保険料など、に日本よりも厳しい部分も多い)

⑵ハッキリしたコミュニケーションは楽だが、異文化コミュニケーションで違いが出る

⑶ルールは問答無用

*書類がダメならアウト、仕事で成果がなければアウト

⑷海外に住んでもASDの特徴は残ったまま

世界のどこに住んでも自分からは逃れられない〜私、Asdの特徴〜

ASDは個性です。足が速い遅い、そんなレベルで私たちにも得意不得意があるのだと思うようにしています。下記に私の特徴をあげながら、得意不得意なことをまとめてみました。 

有利な点

真面目でルール•ルーティンが好き

予定を立てて働くのが好き

全体を見通して逆算して現在の立ち位置を把握しながら働くのが好き

はっきりと決まった目的とした期限が好き(*それに合わせて計画と作戦を立てるため)

データの蓄積、パターン化が終わると処理が早いし的確

色んなパターンを考えるので事前準備が徹底される

攻略法が分かっている、前任者がいる課題は困難であっても情報収集と事前準備で乗り越えることができる(*実際に海外就職に成功したり、フリーランスビザを一発で取得したことなど、この辺りの特性に助けられてきたとも思われる。ブログ記事や、実際にビザを取った方に話を聞きに行ったりと、対策と準備だけは完璧だったので)

 不利な点

真面目すぎて融通が効かない

純粋すぎるとも言える程、人間の悪意というか、そのようなエネルギーに弱い

予定が狂うとパニックになり、とっさの対応はデータの蓄積がなければ初動が遅くなる

ルールやパターンに固執して柔軟性にかける時がある

(その初期対応に自信が持てないため、一度終わったプロジェクトが気になりすぎてしまう)

目的と期限が曖昧なプロジェクトの管理遂行が苦手

(初期に無駄な動きが多く、途中で中だるみする)

個人的考察:ASDに海外暮らしは合っているのか?

間違いなく私にとってはYESであると思います。生活面で言えば、かなり心理的負担が減ったし、人生という大きなくくりで見て豊かになりました。経済的な余裕や将来の補償など、外国人である面で不利になる部分は多いけども、ベルリンという物価が低く文化が深い街に暮らしていることもあり生活は快適。アートと自然が多く、多様な価値観という「誰もかれもが変わっていて当然」という空気感には救われています。

「私、ASDがあってちょっと変なところがあるんだよね」と友人に話したとしても「え?日本人って皆そうじゃないの?」「真面目っていいことじゃない、イタリア人と働いてみなさいよ」とかね、自分のコンプレックスでもあった特徴が、この街ではなんでもないことに思えるのです。

ASDが海外暮らししたとしても、山にこもらない限り対人関係からは逃げられないんだよ。

しかし、人間どこぞの大金持ちの御曹司でもない限り働いて生きていかなければならない。働いて生きていくにあたって、仕事というものは正直程度の差はあれども海外も日本も根本は同じでした。「お客様がいて、仕事がある」この関係が土台。また起業するなり自分のアートや作品で生きていかない以上、結局はどこかから仕事を得たり、チームで働くことになると思います。その際、コミュニケーションから逃げることはできないのです。

私は海外の会社であれば会社で働くとしても日本よりかはコミュニケーションは楽になると思っていました。確かに直接言葉にして話し合ったり、疑問や質問をその場で直接、立場が上の人であってもフラットに話し合えるのは大分助かります。しかし、インターナショナルな職場で働くと今度は異文化が入ってくるので、たとえ直接的に皆が話し合えたとしても度合いに違いが出てくるし、その上に「トルコ人の文句は真面目に聞きすぎてはいけない」とか、「ポーランドの方は日本人以上に自我を押し込めて我慢したりするようだ」とかね、国が違えば表面に見えているものの意味合いも変わってくるのです。そこで日本では「言葉にされない、言外のコミュニケーション」に苦労した私が、今度は「言葉の後ろにある意味、背景」などが気になったりしたのですね。また「コミュニケーションなら任せろ!コミュニケーションの鬼!」みたいなアメリカ人と働いた時に「あ、この人達はフレンドリーで話しやすいし一見すごくフラットだけども、日本人以上に腹にためているものもあるようだ」と分かったんですね。HERO気質のアメリカ人とのコミュニケーションは、彼/彼女が本気でそう思っているのか、過去の経験の蓄積で培ったスーパーコミュニケーションで表面上良いように言ってくれているだけなのか、逆に深読みしないといけないんだな、とわかりました。つまり、言葉にしないコミュニケーションも、言葉にされるコミュニケーションも、結局はコミュニケーションの本質に違いはなかったのだと思います。シンプルに対人関係は対、ヒト。言葉にしようがしまいが、その人で知るしかない。ただし、最初に書いたように(また、ここまで面倒なことになることは少ないので)海外の職場はやっぱりコミュニケーションがハッキリさっぱりしていて全体的には楽かな、と思います!社外メールも「Thanks! Have a nice weekend!」ぐらいの軽さで送れたりしますしね。

ASDが海外で働くにあたり、フリーランスが良いのか、会社勤めが良いのか。

最近フリーランスで契約を取ってもっと広げていこう、頑張っていこう、そんな風に考えていた矢先に「私はそもそもフリーランスが向いているのか?フルタイム職の方が向いているのでは?」と考えることがありました。今回はすでに長くなったので、次の記事でこの命題に関する私の意見をまとめたいと思います。私が思考を整理したい、というだけなんだけれども。きっと誰かが同じことで悩むかもしれないから書いていきたいな、と。日本人として、生き方として、そんなことを考えてきたけれども、人生の過渡期には「自分という人間」を深堀しないと決断ってできないですよね。そんな時にやっぱり「ASDの個性がある自分」は考慮せざるを得ません。

 

何事も簡単ではありませんが、絶対に一つだけ声を大にして言えるのは「自分を幸せにするのはいつだって自分。生き方を考えて実行するのも自分。人は助けてくれるけれども、“幸せになるんだ”という意思のない人間は助けてもらえない。幸せになるのだ、と強く信じて生きていくのが大事」だということ。本当にそう思います。だから、私は幸せになりたいし、自分が何をもってして幸せを感じるのか、その理想形はどうやって手に入れることができるのか、常に考え、行動したいと思っています。

I hope you do the same for yourself too;) Have a nice weekend!