ベルリンから人生敗者復活戦。

ワーキングホリデーの失敗談を綴る。その失敗の過程と、失敗から出直す、敗者復活戦の過程も勝手に配信する。

ベルリン国際映画祭「リバーズ・エッジ」オープニング上映“屍体の有無で浮き彫りになる欲とエゴ”—現地の様子、質疑応答、作品解説まで

2月15日からベルリン国際映画祭が始まりました。コンペティション部門のオープニングはウェス・アンダーソン監督の「犬ヶ島」でしたが、パノラマ部門のオープニングは日本から「リバース・エッジ」が選出され、奇しくも「犬ヶ島」が日本を舞台にした作品でもありましたから、なんだか日本の映画からベルリナーレが開幕したような感じですね。私は二階堂ふみさんと行定勲監督の大ファンなので「今年のベルリナーレはコレが見たい見たい!」と友人にプレゼンしまして無事に「リバーズ・エッジ」のオープニング上映を観に行くことができました。日本からベルリンまでくることはなかなか出来ない映画ファンの方々に出来るだけ現地の様子をお伝えするように頑張りますね!今年はベルリナーレ二回目なので、楽しむだけじゃなくてちゃんと情報を整理してお伝えするように心がけていきたいと思います。(昨年は完璧に感情に任せた殴り書きだったので。。。)では、リバーズエッジ一緒に見ていきましょう!

目次

映画の基本情報について

⑴映画の概要

—予告編

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—ストーリー

執拗なイジメにあっているヤマダと、彼を助けたハルナ。彼らは河原に放置された屍体を中心に奇妙な絆を築いていく。

—日本公開日:2018年2 月18日

—公式HP

映画『リバーズ・エッジ』公式サイト | 2018年2月16日公開!

 

⑵原作・原作者の紹介:岡崎京子(活動期間:1983-1996年)
リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

 

原作者は90年代に「おしゃれ漫画家」として人気を博した岡崎京子さん。「おしゃれ漫画家」とファンシーな響きであっても作風は当時の若者をリアルに描き、整形やドラッグ、暴力などタブーにも切り込んで行った斬新な作家でした。1996年不幸な事故で活動を停止することになり、現在では復刻版などが出版されるなどしていますが未だに伝説的な人気を誇っています。

代表作

「ヘルタースケルター」「pink」など

受賞歴

2003年 文化庁メディア芸術祭・マンガ部門優秀賞

2004年 第8回手塚治虫文化賞・マンガ大賞

 

⑶監督の紹介:行定勲

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小学生の時に故郷熊本県で黒澤明監督の「影武者」が撮影されている現場を見て映画を作る人になりたいと思ったとのこと。岩井俊二監督作品へ助監督などで参加された後に、長編映画監督としてメキメキと頭角を現していかれました。私が「邦画で一番好きな映画は何か?」と聞かれたら、悩んだ末に「GOです」と答えるぐらい好きです。ストーリーの置き方が本当にかっこいい。あの原作からあのオープニング、最高。今回の映画祭でじゃ時代背景の知識など観客の質問に深い回答をされており、ドイツ語で挨拶を入れたり、ジョークを交えたりなど国際舞台でも堂々としていて本当にカッコよかったです。

過去の作品

「GO」「世界の中心で、愛を叫ぶ」

受賞歴

第25回最優秀映画監督賞「GO」

第60回国際批評家連盟賞『パレード』

 

⑶注目すべき役者さん:二階堂ふみ、吉沢亮

二階堂ふみさん

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もともと上手な女優さんだと思っていたけれども「ヒミズ」が凄すぎて、何かブッ飛んだ女の子の役が多い印象でした。しかし桜庭一樹の直木賞受賞作「私の男」を見た時に一気にファンになりました。父と娘の近親相姦の話なのですが、わざわざ「二階堂ふみが18歳になるのを待ってからクランクインした」と製作陣が彼女を待つほどだったとのこと。幼いのに女の顔で、それなのにいやらしくなく、純粋に獣として愛しているのが父で、その男なのだと。その後も色んな作品で活躍されています。英語で話しかけられたら英語で返すなどファンの対応もとても丁寧でした。「ヒミズ」で既に顔と名前が知られていましたので、今回でも現地でかなりサインを求められていました。きっと今後は国際舞台でも活躍されるのではないかと期待しております。

過去の作品

「ヒミズ」「私の男」

受賞歴

第68回 ヴェネツィア国際映画祭 マルテェロ・マストロヤンニ賞(新人賞)「ヒミズ」

第38回日本アカデミー賞 優秀女優賞「私の男」

 

吉沢亮

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今回の映画で初めて拝見した俳優さん。とても端正な顔立ちで、日本で人気がある方だとは存じておりましたが、過去作品は知らないまま。「亮くんベルリン来たんですか!?」と日本の後輩から可愛いメールが飛んできて、大分人気がある人なのかと驚く。過去の作品をちゃんと知らないのにサインとかお願いしては失礼かと思って控えてしまいましたが、少しお声掛けすると笑顔で答えて下さり、ものすごく優しい雰囲気でした。今作では佇まいが本当に綺麗で、窓辺で外の様子を見たり、猫を可愛がる映像は「なんだこれは!」ってぐらい作中の緩和剤でした。作品自体がね、もうグチャグチャしたストーリーだったので。実写化映画の出演が多いみたいですが、この方の真逆の映画とか見てみたいなと思いますね、髭面、クズとか。笑顔で殺人鬼とか美しそうです。

過去の作品

「銀魂」「マーマーレード・ボーイ(2018年公開予定)」

 

ベルリナーレの会場や現地の様子について

⑴劇場の紹介

今回上映会場となったのはS/UバーンPotsdamer Platz駅を出て徒歩1分のCinemax! チケット販売会場にもなるデパートArkadenや、レッドカーペットがあるメイン会場からも目と鼻の先にある映画館です。

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会場の中はこんな感じ。もう既に映画祭用にポスターが貼られていたり、会場に来たお客さんが混乱しないように案内標識など置かれています。

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各部門様々な映画を上映するのでパネルで案内してくれている。

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もう、階段にすらサインを入れてくれています。(それでも間違った方向に進んでしまう私はなんなんでしょうね。。。)

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今日は3本続けての上映スケジュールだったので、二階の5番、7番会場と、最後は一回の4番会場と30分区切りで上映されていました。

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最後の4番会場で鑑賞しましたが、お客さんは結構満員。重要なポイントなのですが、この劇場はシートがフカフカで鑑賞しやすかった。古めの会場だと椅子が硬いからね、今日は良いシートで嬉しかったです!

⑵チケットの入手

販売開始当日の朝のオンライン予約で購入可能。

販売開始当日の朝の窓口でも購入可能(12:00時点)

販売開始翌日では売り切れがではじめる。やはりオープニングの注目は高い。 

⑶現地の反応

正直なところ、若干の間延び感はあったかと思います。漫画に忠実だったからか、いろんな要素が入りすぎていて「長いな」と感じましたし、観客にも少し飽きが感じられました。その分、原作ファンの方には取りこぼしがなくて嬉しいのかもしれませんが。また岡崎京子作品の作風というか、まあ時代やテーマ性の関係もあるかと思いますが、ストーリーが盛りだくさんというか、「こうくるか!」「そうなるか!」「まだやるか!」というジェットコースターのような、早急な展開に目を見張りました。過剰に演出されたかのような「人間の欲」のシーンでは、若干の笑いが起こったりなど、ドイツ人の照れ隠しかもしれませんが、あまりにもドラマチックすぎると観客はジョークだと捉えていました。

また「あれ?日本って高校は制服着ているんじゃないの?なんでこの子たちは私服なの?大学生?あれ、やっぱり高校生?」という変に日本文化に理解がある人が逆に混乱するという面白いことも起こっていました。エンディングミュージックや、クレジットが現れた際でのタイミング、どこで区切ったらいいのかが分からない、という点もあったからか、拍手のタイミングも遅かったかなあ、と感じました。しかし90年代はどんな時代であったのかなど、時代背景への関心や、あえて説明しすぎない映画であったからこそ観客も見入る、考える、という受動的ではなく非常に能動的な映画体験になっていたと思います。そもそもオープニングだし、観客も厳しそうな人ばっかりで、純粋に映画見に来たよ、ワクワク!みたいな客層がすごく少なかったですね。何かしら首からパスを下げている人が多かったし。その中での客入りはほぼ満席だったし、本当に注目度が高い作品であったことは間違いないと思います。

 

勝手な映画評論(ネタバレ、あらずじ有)

*基本構造はこんな感じです*

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私が参考にしているのは、脚本家、ストーリーを作る方には有名であろう名著「物語の法則」です。昨年度は「ぐわ〜!とても良い映画だったああああ!」と感情のままに感想を書きなぐり「うん、熱意は伝わるけれども長いし概要がよく分からん!」な記事になっていたので、今年は少し成長したいと思って映画のお勉強をしてみました。素人の遊び程度ですが、上記の本に従って、映画の分析をしてみたいと思います。

⑴一文字でいうと / 一言でいうと・・・

一文字:「秘密」の映画

一言:「屍体の有無で展開する若者の欲と混沌」な映画

⑵ストーリー分析「ログライン」「三幕構成」
ログライン

「ハラの中に混沌とした鬱憤を溜め込んでいる高校生たちが、河原に存在する屍体の有無を軸に自分と他者との関係を変化させながら、欲を剥き出しにして更なる混沌に落ちていく」

ストーリー三幕構成

プロローグ

平和な町。そこに一つの焼死体が、空から降ってくる。

一幕「登場人物紹介と秘密の共有」

高校生のハルナは、恐る恐る夜の旧校舎に入っていく。ガタガタと揺れるロッカーを開ければ、そこには裸で放置されたヤマダがいた。翌朝学校で、イジメの主犯、自分の彼氏を見つけるとハルナは走って行った。「どうしてあんなイジメをするの?」カンノザキは「なんで助けに行ったんだよ」と彼女の行動に不満を漏らす。その姿を見た女友達は「カンノザキ君かっこいいのにどうしてハルナは彼と付き合っているって隠したがっていたんだろう?」と発言するが、他の女友達であるルミは、年上の彼氏に買ってもらった高価な化粧道具を手に「私、あんまりカンノザキ君は好きじゃないな」と返す。

「二度とイジメはしないで!」とハルナに忠告されたカンノザキだったが、ハルナが庇えば庇うほどにヤマダが疎ましくなり、イジメが加速していく。もてあますような暴力性は、実は裏で体の関係があるルミを呼び出し、自宅でドラッグを吸引しながら危ないsexにふけることによって解消していたのであった。

ハルナに何度も救われたヤマダは、ハルナに「初めて普通の人に言ったよ」と自信がゲイであること、付き合っているB組のタジマは「ズル」の彼女だと告げる。心を許し始めたヤマダは「今夜、時間ある?」とハルナを誘い、「僕の宝物なんだ」といって河原に放置された屍体をハルナに見せるのであった。(最初の秘密の共有)

 

二幕「三つの事件と新しい秘密の共有」

ヤマダは秘密の共有者を明かした。「もう一人この屍体を見に来ている人がいるよ。一年のヨシザワさん」コズエというスラリとした体の少女は、学外で芸能活動をしている知られた存在でもあった。彼女は影で拒食症を煩い、過食しては吐き出すということを繰り返していた。河原の屍体を通して交流を深めていく三人であったが、ハルナがヤマダと親しくするほどにカンノザキは苛立ちを募らせ、それを受けてルミも態度を硬化させていく。

—最初の事件:屍体の存在が暴かれそうになる

「川辺に大金が埋まっているらしい」という噂が学内でなされた。その噂を発端に、大挙して学生が川辺に押し寄せる。噂はデマだと止めようとするハルナ、しかし学生たちは川辺へと向かってしまう。「ズル」の彼女と上辺だけの付き合いを続けていたヤマダは、川辺に差しかかった際に学生たちが

川辺を暴こうとしているところを目撃する。暴力を前に逃げ出し、助けを求めに走り去る彼女タジマ、その横を走り抜けて川辺へ向かうハルナ。ボロボロになったヤマダを介抱しながら「今夜3人で屍体を埋めよう」と決意するのだった。(秘密の隠蔽)

ー第二の事件:ルミの妊娠

カンノザキだけではなく年上で既婚者の彼氏、そして一夜限りの関係など奔放な性生活を繰り返していたルミは、ある時生理がこない事に気づく。「避妊されない(大切にされない)私」と「避妊される(大切に扱われている)ハルナ」の対比を感じ、どの男よりもカンノザキに厳しくあたる。自宅では穏やかな娘を演じているが、容姿も体型も自分に劣る姉の存在だけが目障りで「勝手にひとの部屋に入って日記を読んだりしないでね」と侮蔑したような声を掛ける。一方、屍体という安息の地を失ったヤマダはバランスを崩していき、表面だけで付き合っていた彼女タジマに辛く当たる。初めてヤマダの感情をぶつけられたタジマは混乱し、そしてヤマダと親しいハルナに一方的な憎悪を燃やし始めるのであった。

ー第三の事件:新しい屍体の誕生

「部屋だとヤラれてしまうからね」と河原にカンノザキを呼び出したルミ。「堕胎手術したいから、お金を工面してよ」と迫るルミに、カンノザキは「そんな大金はない」と出し渋る。ルミに「何故避妊してくれなかったの?ラリっている時だけじゃなくて一回もしてくれてないよね、ハルナにはするくせに!」と指摘されて、しぶしぶ要求に応じようとするが、その態度に業を煮やした彼女に「ハルナ、あんたの事なんて好きじゃないって言っていたわよ、誰もアンタのこと愛していないから」と罵倒され、家庭崩壊で不安定でもあったカンノザキは感情を爆発させ、思わず首を絞めてしまう。その時川辺に立ち寄っていたヤマダは、一部始終を目撃していた。ヤマダに目撃された事に動揺するカンノザキであったが、屍体にしか関心のないヤマダは「さっさと埋めよう。あと二人、前にも埋めたことがある人達を呼ぶから」と提案するのであった。(二度目の秘密の共有)

 

三幕「最後の屍体と明らかになる秘密と守られた秘密」

「実はあなたのことが好きよ」とコズエにキスをされ、自身もまた同性愛の一端を担ったハルナ。そのことを深く考える間も無く電話が鳴る。ヤマダから二人への、屍体への誘いであった。川辺に現れたハルナを見たカンノザキは彼女に走り寄るも、屍体で結ばれた三人の関係を訝しむ。更に死んだと思われていたルミは気絶していただけで、ヤマダたちがシャベルを取りに行っている間に自宅に戻っていた。屍体が存在しないことで結束が薄れ、またカンノザキの行為を無抵抗に受け入れようとするハルナにヤマダもコズエも別れを告げて川原から立ち去る。自宅に戻ったルミは丁度また自身の日記を読んでいた姉を罵倒し、ルミの言葉に我を失った姉によって切りつけられていた。帰路のヤマダ達は、焼屍体を目撃する。それは嫉妬に駆られた上でハルナの自宅を焼きはらおうとし、失敗から自身が燃えてしまったタジマであった。

火事をきっかけに引っ越すことになったハルナ。どこかよそよそしいカンノザキ。姉との事件によって妊娠していたことも発覚してしまったルミ。「死んだタジマさんの方が好きだ」と口にするヤマダではあったが、「ちゃんと生きている人も好きだよ」とも語る。守られた秘密と明らかになった秘密があり、そして一つの秘密が消滅したところで物語は終了する。

 

⑶勝手にほとばしる情熱的なコメント

「最初に誰かが死ぬ」そんな謎を提示した上でストーリーが展開する映画といえば「明日、君がいない」が思い浮かぶ。その映画も本作と同様に、10代の高校生たちが主人公で、分かりやすく主人公がいるわけではないが、メインで現れる何人の学生たちかが「死にたくなりそうな何か」を抱えて生きている映画であり、冒頭に誰かが死んだことで、「いったい誰が自死を選んでしまうのか?」という命題を頭に置きながら過去から現在へストーリーを追う映画だった。

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で、今作は先ほどの映画と「冒頭の謎かけの置き方」が若干異なる。主人公がいるにはいるが10代の様々な若者をそれぞれ描いており、包括的にその時代の若者が抱えている空気感を描いている作品であり、命題はそこにある。確かにラストで命が失われ、それが誰であったのか明かされるがそれが今作の命題ではなく、今作の核となる部分は「生と死」であり、死があるから生があり、生があるから死もまた存在する。「死を感じながらの生」とは何か、突き詰めれば「生きるとは何か?(何故生きるのか?)」と言う問いかけを実際にインタビュー形式でキャラクターに問いかけたりしながら「生と死」を際立たせていく。よって「屍体の登場」「屍体の消滅」「新たな屍体の登場」のように、屍体の存在の有無によってストーリーは展開していくのである。

「生と死」以外にも二極化が目立つ作品であった。常に対立が起こっているのである。わかりやすい対立はルミとハルナであろう。その対立の間にはカンノザキがいる。性欲の対象であり、避妊もされず、体以外のつながりを持たないルミと、性欲よりも愛着の対象であり、避妊され、精神のつながりを求められるハルナ。また、カンノザキやルミのような「肉体を通して繋がる者たち」の対立として「死体を通して繋がる」ヤマダ、ハルナ、そしてコズエ。異性愛者と同性愛者。支配する者とされる者。対立があるからこそ、キャラクターの立ち位置が肉付けされていく。冒頭の「明日君がいない」ではそれぞれの内面や行動を深めていく演出であったが、今作は逆に表面積を広げることによって、まさに(監督が映画上映後にインタビューで答えていたように)「行間を読みながら」観客自体がキャラクターを想像、理解してく演出であった。

今作で特徴的でもあり、ドキュメンタリー的な要素でもあった「キャラクターにインタビューする」という演出の中で、その行動や考え方の真意を問うような場面があっても、10代のキャラクターたちはハッキリとした答えを持ち合わせない、もしくは開示しない点も観客に頭を使わせた。これは「内に秘めている思いがあるにはあるが、言語化できない」それは「開示したくない」という自己規制と「彼らに開示させない(それを認めないような世間の空気のような何か、もしくは恥の意識)」抑圧のようなものが流れているように思えた。「90年代は無関心の時代であった」と何度か語られていたが、ともすればキャラクター本人たちも「表面の自分を演じすぎて本質を見失ってしまった」かのようにも見えたし、その本質を分かっているような(悟ったような)言動をするヤマダであってさえ、最後の屍体を前にして、新しい自分の感情を見つけるのだ。唯一自我を解き放ったのは川辺で退治するカンノザキとルミであったが、彼らは「妊娠の脅威」「真実の暴露」などタブーとされているものに正面から向き合わざるを得なくなった際に、タガが外れて自我が暴発したようなものだった。問題さえ起こらなければ、表面をいつまでも取り繕って、問題さえないかのように振る舞い続けるのだ。何度も「無関心」という言葉が上映後のインタビューでも現れたが、本当に「無関心」なのではなく「無感動になって、無関心を装っていたい(現実から目を背けていたい)」という自己防衛にすら思えた。

自己防衛しない、もしくは無抵抗であったキャラクターが、ヤマダのガールフレンドであったタジマである。彼女は純粋に恋をし、恋をしている自分に恋をし、彼との恋を通して自分が見たい世界に生きていた。だからヤマダが実は同性愛者でタジマとの付き合いは「ズル」であり、本当に惚れている男は別にいたとしても彼女には分からない。「屍体という安息地」を失いバランスを無くしたヤマダに初めて感情を向けられた後に、自分が見ていた世界が崩れ、表面的にヤマダとの距離が自分よりも近いと思われたハルナに嫉妬心を燃やすのである。彼女にとってこの嫉妬心は単なる嫉妬ではなく、彼女の世界の崩壊ですらあったので、自己防衛のなかった彼女は無抵抗に現実に打ちのめされ、そして破滅していくことになるのである。彼女だけが、全くもって無関心(無感動)にはなれなかったのだ。

ハルナを演じた二階堂ふみさんは上映後のインタビューにて「心の内に怒りや激しさを秘めている“動”のキャラクターを演じていましたが……」と聞かれ、「日本のメディアでは常に『無のキャラクターですが……』と内面の激しさには焦点を当てられてこなかったので、この質問にまず驚きました。」と答えている。私は原作も未読であり、日本のメディアの情報も乏しかったので予告編以外、ほとんど純粋な目でこの映画を鑑賞することができたが、ハルナほど「情」があるキャラクターはいないと感じた。それぞれが感情を持っているのだが、そのほとんどが自分、もしくは自分の感情の矛先の人物までにしか関心が及んでおらず、ヤマダとコズエに関してはほとんど屍体以外に関心が湧いていなかった。いじめられるヤマダ、バカを繰り返す自分の彼氏、そして女友達に突然生活の中に入ってきたコズエなど、無のように見えてハルナは全てに手を伸ばしているのである。「情」がなければ素通りしてもいいほど、ハルナには「究極にはどうでもいい」人達であったはずなのに。

「親の不在も重要なテーマですか?」という質問もなされたが、確かに親の不在によって「子どもだけの思考、言動」が際立っていた。親が不在の自宅でsexにふけり、ドラッグを吸い、親が見ていないところで喫煙を繰り返す。ハルナはイジメられっ子をかばうキャラクターとは不似合いなほどに、頻繁に喫煙していた。私には、まるで早く肺をダメにしてしまいたいが為の自傷行為にも見えた。しかし最後に彼女はインタビューで「生きていきたい」と答えるのである。「悲しいとか、怒ったりとか笑ったりとか、そういうのをたくさん感じながら」と。死を目の当たりにする経験をして、彼女の中で「生」が際立ってきたのである。

「死」を表す為に極端なほどたくさんの「死」が現れた。ハルナがタバコを吸わせた骨格標本ですら、死の象徴である。「生」を表す為にこれでもかというほどに「欲」が差し込まれたが、そのほとんどが性欲であり、コズエの過食シーンで食欲も強調された。ハルナ以外は、貪欲な生き方をしているな、と思えた。そんな「欲がない」とも言えたハルナが最後に「生きたい」と口にし、更には「カンノザキ君とは、二度と会わないと思う」と、カンノザキと離れることで過去の自分にも他人にも無感動であろうとしていた自分とも決別するシーンは意外であった。この映画の核である「生と死」はハルナの意思が生に焦点が合って、終わりとなった。ラストにヤマダと散歩するが、ヤマダも「死んでしまったあの子の方が好きだなあ」と「死(もしくは死者)の方が好ましい」ようなことを口にするも、「生きている人もちゃんと好きだよ」と、生きる者への情を見せるのである。ここで置いてけぼりにされるコズエだけが空のままであるからこそ、原作者である岡崎京子の後の作品「ヘルタースケルター」で再登場し、彼女の居場所を再度模索させてあげるのではないだろうか。とっても長い、勝手な解釈でございました。お粗末様でした。

 

舞台裏、その他の追加情報

—リバーズエッジは6年かけて二階堂ふみが作り上げた?!

行定監督「僕からの発案というより二階堂ふみからの発案だった」

二階堂ふみ「16歳ぐらいの時、『ヒミズ』という作品に関わっていたのですが、その時に美術部のスタッフさんが『好きだと思うよ』と言って勧めてくれたんです。」

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ベルリナーレに先立ち、日本で行われた完成披露会見ではこのような会話がなされていました。16歳でこの原作を読んで、そのままずっと熱量を維持しながら映画化するなんて。二階堂ふみさんの熱量がすごい!実は今回の映画祭、21:30~からの上映回に行っていたため、有難くも上映後の舞台挨拶と質疑応答の時間まで拝見することができました。そこでは観客からも自由に手を上げて質問することができるのですが、私はすごく「二階堂さんの熱量ってなんだったんですか?どうやって失うことなく、沢山の人を引き入れるほどの熱量を持つことが出来るのですか?」と彼女のモチベーションや思いを伺いたかった、けども聞かなかった。国際舞台で、海外の観客(しかもかなり質の高い観客)から受けることのできる貴重なフィードバックの時間。スケジュールや作品規模的に、多分何度も舞台挨拶はされないのでしょう。そんな中で貴重な時間を日本人の質問で頂戴するのは気が引けてしまいました。でも私はめちゃくちゃ二階堂さんが好きなので、もう国際映画祭の場で彼女に向かって質問することで「日本の奥ゆかしい女性のイメージを覆すように、行動的で熱い女優さんがいるんですよ!この人です!」と逆にアピールしてみたかった。が、ファンの余計なお世話なので堪えました。もっと良い質問が出来るようになりたい。

—主題歌を歌った小沢健二は原作者、岡崎京子の盟友。

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今回映画の主題歌を歌われた小沢健二さんと原作者の岡崎さんは大変仲が良く、1996年岡崎さんが事故にあわれた際にも小沢さんがすぐに病院に駆けつけたほど。事故後に重い後遺症が残り公共の場に公式に姿を見せることがなくなっていた岡崎京子さんでしたが、2010年小沢さんのコンサートには足を運ばれたとのこと。作家生命を絶たれるほどの事故を乗り越え、その後も交流を続けていらっしゃるお二人。そのような背景知識を得ると、上映後の主題歌の感じ取り方が変わってくるかと思います。ハードで重たいストーリー、そんな後にpopな音調な曲が流れると最初は違和感があるかもしれません。しかし、歌詞を聴きこむと、ただ明るい曲調ではありません。人生はハードではあるけれども、このような音楽に、ふと救われる時もあるのではないでしょうか。

 

上映前後の質疑応答、インタビュー覚え書き全部!

録音なし、メモからの書き起こしなので、全てが正しく記載はできていません。「こんな感じだったのね〜」とニュアンスだけ汲み取ってください。実際の質問に対し(多分質問から汲み取った本質的な何かを説明する流れになったからだと思われますが)文面では質問から脱線していく回答にも見えますが、その場の空気感も鑑みて想像してみて下さい。私も途中聞き逃しとか細かい部分まで聞けていないので。

*俳優さん、監督さん便宜上全て苗字、もしくは監督で発言を記載しています。

 

—上映前の監督挨拶

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監督:Guten Abend(ドイツ語で「こんばんは」)皆さん、今日はウェス・アンダーソンの映画ではなくてこの映画を選んで下さって有難う。(観客笑う)ベルリナーレには4回きたことがありまして、今回が5回目です。5回目にして、パノラマ部門に一番合っている映画を持ってきましたよ。明日、日本公開ですが、日本よりも先にドイツで公開できることを嬉しく思います。(観客笑う)この作品は1994年の東京が舞台であり、翌年1995年に神戸大震災が起こり、オウムの地下鉄サリン事件というテロが起こりました。僕はこの時期に青春を過ごしていて、生きる、死ぬということをあまり考えていませんでしたが、この出来事で価値観に衝撃を受けました。この映画の原作は希代の天才、岡崎京子です。上映後の挨拶では俳優たちも加わりますので、まずは映画をお楽しみください。Danke schön.(ドイツ語で「ありがとう」)

 

—上映後の質疑応答

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緊張しすぎてブレました。ダメダメです。iPhoneで撮ったほうが高画質でした。

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*まずは司会者からの質疑応答*

⑴1994年が舞台だったと伺いましたが、とっても現代的な作品に思えました。90年代ってどんな時代だったんですか?

監督:僕は90年代はつまらない時代だと思って生きていました。でも原作の漫画は僕が気づかない部分に切り込んで行っていた。90年代は無関心の時代と言われることもあったが、今の日本人も与えられすぎでまた無関心、似たような時代になってきていると思います。最近の映画では何でも分かりやすく描写するが、今作ではあえて分かりやすく説明しないこと、観客自身に行間を見つけてもらうように作りました。

⑵ドキュメンタリーのような映画だったと感じましたが、それは漫画という原作があったからでしょうか?

監督:そもそも僕は、漫画の映画化は請け負わないと公言してきたのですよ。(観客笑う)観客はまんがとおなじものをもとめてきますからね。漫画だと変な髪型だったりするでしょう?アレとかもね、再現を求めて来るんですよ。では、なぜ今作を映画化したか。漫画の原作者、岡崎京子さんはとても文学的な作品を作る人でね。ウィリアム・ギブソンの詩を引用したり。だから映画化できると思ったです。キャスティングにはこだわりました、ちゃんと若い人を使ったり。キャラクターのアイデンティティーを際立たせるために、キャラクターと俳優のアイデンティティーを混ぜてしまうようなインタビューの手法を取り入れました。漫画のキャラクターにインタビューをする手法は面白かったので、次作からも使っていきたいですね!(観客笑う)

⑶俳優のお二方に。静であるヤマダと、動であるハルナ。この二人の関係のあり方と、90年代に対して抱いている感想などを教えてください。

吉沢:僕のキャラクターは同性愛者で、いじめられていて、他の若者達が過ごすような青春は全て諦めなければならないキャラクターでした。その内に溜め込んでいる感情、エネルギーは、90年代に限らず、どの年代も同じかな、と思います。

二階堂:実際に演じていた時、怒りや激しさはあまり感じていなくて「無」に近かった。日本のメディアからの質問でも「無を感じますね」とコメントをもらうことも多かったです。今回海外の方に見ていただいて、内に秘めていた「怒り」や「激しさ」を汲み取ってもらえたことに驚きましたし、確かにハルナには「生命力」「ひるまない姿勢」「ブレない」そんなところがあったと思います。もともと私は60年代や70年代に対する憧れが強かったのですが、今回の作品で90年代を演じ、岡崎さんの作品を通して、自分が90年代に生まれたことを誇りに思うことができました。

(*二階堂さん、回答中に一度回答を区切って、通訳者に訳すタイミングを与えました。この気遣い、周りを見ることのできる視野の広さなどからも、国際舞台でも堂々としている女優さんだなあ、と改めて貫禄を感じました。)

*ここからが観客席からの質疑応答です*

⑷屍体を見せたり、その後にセックスをしたり。これらのシーンへの関連は?

監督:シンプルに生と死の対比でしょうね。原作もそのようになっています。生と死は、変わらないもののように感じていた若者達。無感情になっていますし、そこで死生観を持たせるために、それらのシーンを差し込みました。

⑸オープニング作品に選出されておめでとうございます!さて、あの屍体は誰だったのでしょうか?

監督:ああ、面白い質問ですね!あの屍体(最初に死んでいた屍体)はね、誰でもないのですよ。つまり登場人物だれもが気にしてもいなかった。でも確かに私たちはすごく気になるよね!とにかく屍体は用意しなきゃいけないからさ、僕たちの美術班は毛布ぐるぐる巻きにして屍体を準備したんですよ。まあ、その点からいっても殺人事件でしょうね。あと、女性だった、それぐらいかな?

(*ここで質問者がなんと「いや、最後に死んだ人が誰だったのかって質問です」と発言!えー、映画の中でキチンと種明かしされていますが!監督さんも観客も一様に驚きましたが)ああ、アレね!ヤマダのガールフレンドだよ!ははは!分かんなかったか。

⑹何故このスクリーンサイズにされたんですか?スタンダードなスクリーンサイズよりも、かなり正方形に近いスクリーンサイズですよね?

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監督:まず、閉塞感を出したかったんですね。スタンダードサイズだと広すぎちゃいますから。あとは、漫画原作の作品だから、漫画のコマみたいに真四角にしたいと思ったんですよ。

⑺何故、この映画には両親の存在が希薄、ほとんど登場もしないのですか?90年代の特徴なのですか、それとも漫画の設定?もしくはLoosing Family, 家族の崩壊を表しているのでしょうか?Letting them being adult? 親がいないからこそ大人になっていくものなのでしょうか?(切り込んだ質問!実はルーマニアの映画監督で過去に金熊賞も受賞したこともある人物からの質問でした。)

監督:ドラマや映画でも家族崩壊の中で孤独を感じる子供達というテーマのものは多かった。実はハルナの両親も離婚していて、彼女は鍵っ子だしね。僕もそうだったんですよ。これは90年代らしい流れで、親と子の結びつきのなさが、その後の混沌とした時代、また彼らの生き方を描きやすくしました。

⑻この原作は1994年が舞台だったと言っているけれども、1995年には大震災や事件があったとも言いましたね。もしこの原作が1996年に描かれていたとしたら、何か違ったでしょうか?

監督:神戸の震災やオウム事件によって、私達は沢山の死を目の当たりにしました。日常に死があり、生死を感じるようになりました。「我々はどう生きていけばいいのか?」事件後には、そんなことに向き合わなければならなくなった。震災や事件前に若者が持っていた「死を感じられない」という死生観が、事件や震災を経て、作品の持っていたような死生観と実際の若者の持つ死生観にギャップが生まれてしまった。映画化したいという監督がたくさん居ながらにして、今日までこの映画が映画化されなかったのはここにも理由があるんです。1996年には少年犯罪が増えました。変換の時期に、日常の中に少年の殺人が起こるような新しいカオスが生まれていくことになりました。

 

以上が質疑応答、なんとなーく、全て書き起こしてみました!とっても面白いやり取りでしょう?映画祭の醍醐味はここだなあ、と感じ入ってしまいます。

 

上映後のファンサービス、映画チームの様子

ベルリン国際映画祭はファンとの距離がとっても近い映画祭。その為日本ではなかなかお会いできない俳優さんでも、この映画祭では間近でお会いできるチャンスも多いんですね。勿論お忙しい場合、またすぐに会場を後にしてしまった際にはお話しすることはできませんが、今回のリバーズ・エッジの映画チームの方々は非常に優しく、お声掛けすれば丁寧にファンサービスをして下さる方々ばかりでした。

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ファンにサインをして下さる二階堂さん。

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ファンサービス後に、プレスタイムを設け、写真撮影とインタビューに応じる監督と俳優さん。

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私も長年ずっとずっとファンだった、二階堂さんにサインを頂けて感激でした。何よりも優しくご対応いただき、握手していただいた際も両手で!震えました。吉沢さんにも少しお声掛けできましたが笑顔で答えて下さり、嬉しかったです。どうしてもヴェネチアで顔が売れ、すでに海外で知られ始めている二階堂さんにファンが集中し、サインを求められる回数も抜群だったのですが、今作をきっかけに吉沢さんも海外に知られていけば、と期待します。日本の後輩が吉沢さんの大ファンで、今回のベルリンでの活躍を本当に喜んでおりました。ベルリナーレ慣れしている監督も現地ファンからサインを求められていましたが、ここでも気さくに応じており、皆さん上映終了後は深夜を回っているにも関わらず、最後まで本当にファンを大切にして下さいました。ご対応いただき有難うございました!

 

ベルリンで見る?日本で見る?本日2月16日に日本公開!

ベルリナーレ開催期間中は、なんと上映回数が8回!まるでコンペティション部門出品作品のように上映回数が多い作品です。(コンペティション部門でも通常5回程度ですよ)ベルリンにいられる方は映画祭はまだまだ始まったばかりですので、今からでもチケット狙ってみてはいかがでしょうか?窓口の方が買いやすいかと。オンラインでは販売枚数に制限があるので。

そして本日16日に日本公開となりました今作。原作ファンの方、俳優のファンの方、監督のファンの方、かなり描けるだけ描ききっている作品です。正直申し上げて、ヘルタースケルターよりも人間のエグさは深いです。その分不快に感じる方もいるほどかと思います。殴るにしろ、犯すにしろ、音が生々しい映画です。最後に一言だけ「やっぱり私はコズエちゃんが一番好き(SUMIREちゃんも最高だった)」以上です!