ベルリンから人生敗者復活戦。

ワーキングホリデーの失敗談を綴る。その失敗の過程と、失敗から出直す、敗者復活戦の過程も勝手に配信する。

「半年の試用期間だけで退職すると履歴書に傷がつく。」毎日怒鳴りつけられる職場でも働き続けるポルトガル人の彼女がドイツで働く理由。

映画「Lichiter〜幻の光〜」で最後に違法移民が写真を撮っていた、ベルリンの中心地ポツダム広場。ここに来る度に、「私はベルリンで生活しているんだ」と様々な想いが込み上がってきます。

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 目次

ベルリンの下から一緒に這い上がった戦友はポルトガル人。

私のベルリンの親友はポルトガル人です。もちろん沢山の素晴らしい友人に囲まれているけれども、彼女との友情は少しだけ特別です。ベルリンに到着した時点から同じ語学学校に通い、同じように就職活動に苦戦して、同様にベルリンの小規模企業の厳しい洗礼を受けてきた、戦友でもあります。

彼女はドイツ語のクラスで一番の成績を取っていました。次に成績が良かったのは「Don’t take it personal(個人の問題だと思わないで。)」と言ってくれたアメリカ人。私達3人はクラスの中でも特に「ドイツ語を身につけること」に対する意欲が強く、一緒に勉強したり、また(大袈裟な言い方ですけども)ベルリン生活を一緒に生き抜いてきたとも思います。ドイツ語の習得には各々の理由が明確にあって、私は就職で忙しくなる前に基本を身につけておきたかった、アメリカ人の彼はドイツ人の彼女との結婚の為にもドイツに早く馴染みたかった。ポルトガル人の彼女は建築家として就活をする際にB1(中級ドイツ語)レベルを終了しておく必要があったらしく、私達は各々の理由でドイツ語学習に励んでいました。出席率が悪くて当たり前な語学学校に、毎回出席していたのは私達ぐらいでしたので、自然とそのまま3人で交流を深め、学校が終わってもずっと交流は続きました。

 

ポルトガルの大学を優秀な成績で卒業してもベルリンで買い叩かれる建築家の卵。

一旦結婚の為のビザ申請で忙しくなったアメリカ人の友人とは別に、夏が過ぎ、秋も終わる時期になると私もポルトガル人の彼女も就職活動に本腰を入れるようになりました。語学学校後の会話に「履歴書の返事が来ない」などの会話が増えたのは冬に入ってからでした。以前にも記述したことがありますが、ベルリンは「いつでもどこからでも、いくらでも安くて優秀な人材が集まる街」です。(*詳細は下記の記事をご覧下さい。)

morianna.hatenablog.com

その為人材なんて掃いて捨てるほどに集まってくるので、就職活動においては徹底的に売り手市場だと思います。私の場合スキルが全てソフトスキル(ITやデザインのように分かり易いスキル=ハードスキルではない、コミュニケーション能力や語学力などのスキルのこと)なので、ドイツ語が堪能ではなく、また分かり易い技術も無い為就職活動には苦労しました。

一方ポルトガル人の彼女は建築家の卵であり、すでに立派なポートフォリオもあれば、素人の私が話を聞いていても賢くて優秀な学生であったことが分かります。そんな彼女の「分かり易い技術と経歴」が羨ましくもあり、「アナタほどの人ならば直ぐに仕事が見つかるわね。」と発言したこともありました。しかし彼女は「いいえ、私の方が仕事が見つからないわ。だって『建築』しかやってこなかったんだもの。カフェやホテルでバイトしようにも、『建築家なんでしょう?』って履歴書の時点で突き返されちゃう。だから『建築しかない』のよ。ベルリンの建築事務所で働きたい若者なんて世界中から集まってくるんだから、私こそドイツ語が話せないともっと買いたたかれるし、無料でも雇ってくれるか分からないわ。」と言われました。

その時期の彼女はバイトはFoodraというレストランやカフェからの食事を宅配するサービスで、自転車に乗ってベルリン中の家々に料理を届けていました。「建築家としての学歴や経歴があっても、ドイツ語が不十分だとベルリンじゃまだ仕事ができない。」といって、寒い日の翌日は風邪を引きながらFoodoraのバイトを続けていました。

 

共に過ごした半年の『Probezeit(試用期間)』私は退職を選び、彼女は交渉無しで継続勤務を選びました。

面白いことに私も彼女も「国に帰らないといけないのかしら?」と悲観し始めた冬の終わり、2月に就職活動が実を結ぶことになりました。同じタイミングで働きだした私達。お互いが「Probezeit試用期間」から働きだし、どんなことがあったとしても「まずはProbezeit試用期間をちゃんと終わらせよう。」と励まし合いながら頑張ってきました。そして「Probezeit試用期間」の終了間際、私は徹底的に買い叩かれ、呼び出されたミーティングでは「君は無価値だ」との評価を下されました。とても傷つきましたし、それ以上に腹が立ちました。色んな可能性とリスクを検討した結果、私は信用出来ない会社とビザを取ることが最大のリスクだと考え、この会社は退職することにしましたが、同様に罵倒され、買い叩かれたポルトガル人の彼女は、「買い叩かれたまま働き続ける」という選択をしました。カフェを飲みながらお互いの近状を報告し合った時、彼女は何故辛い思いをしてまでも同じ職場に残るのか、私に理由を話してくれました。

 

『Probezeit試用期間』で終わらない。『1年間の職務経験』の先に何を見据えているのか?

彼女の理由は明確でした。「Probezeit試用期間だけで勤務が終了したら経歴に傷がつくから。」そして「Probezeit試用期間が終わったとき、どんなに買い叩かれても、給料について交渉しないように徹底的に罵倒されても、私は何も言わなかった。給料に関しても交渉しなかったし、相手が提示するままの条件をのんだ。」と言うのです。全ては「最低でも1年間、同じ建築事務所で働き続けた、その経歴が欲しいから。」と。

ドイツは紙と金の国。これはビザ申請の際に関しては90%ぐらいは真理だと思うのですが、就職活動においては「紙」がものを言うようです。ポルトガル人の彼女は「履歴書に『ドイツ人の建築事務所で1年間働いた』という経歴が欲しい。理想的なのは2年間だけど、1年間でも悪くはない。でもProbezeit試用期間だけだと『Probezeit試用期間以降には欲しがられなかった人材=役に立たないのか?』と思われてしまうかもしれないから、絶対に「Probezeit試用期間」だけで終了はさせたくなかったの。だからどんなに買い叩かれても、罵倒されても、私はあと半年間はこの事務所に食らい付いて行くわ。」と語りました。私は彼女の意志の強さに感銘を受けながらも、彼女が目指す未来がとても気になりました。どうやったらそこまで強く意志を持って行動が出来るのでしょうか?

「どうしてドイツで経歴が欲しいの?ドイツの経歴があるとポルトガルで優遇されるの?」私が質問すると、彼女はハニカミながら答えました。「私はね、3年後にはアフリカに行きたいのよ。NGOの団体に応募して、アフリカに行って仮設住宅とかを建ててあげたいの。その為には基盤がしっかりしているNGOに所属しておいた方が良いの。安全や保証を考えても、ポルトガルの団体では少し心もとなくてね。NGOといったらドイツの団体がとても優秀なのよ。だから、私がドイツのNGO団体に応募する為には3年間のドイツでの建築家としての経歴が必要なの。まずは1年間同じ事務所で働いたら、次の2年間はもっとちゃんとした事務所で働けるはずだから。だからその大きな目標に向かって頑張れるのよ。」と話してくれました。

 

目標を持った人間こそ、ブレることが無いから劣悪な環境でも自尊心を無くすことが無い。

彼女はいつだってスマートで、優しい人です。彼女が素晴らしい人だとは前から知っていました。路上の子供や、困っている人を観たら会話の途中でもすぐに駆け寄って行くような人なんです。でも彼女の口から大きな目標を聞くことが出来て、私は彼女を友人と呼べることにこの上ない幸せを覚えました。

誰にも侵すことの出来ない揺るぎない信念と目標を持っている場合、その人はきっと何年かかっても、困難があったとしても乗り越えてその目標を達成するのでしょう。そしてその目標が自身のみではなく、自分が信じた社会へ繋がっている場合、彼女のようにより強く意思を持ち続けることが出来るのではないのでしょうか。まず昨年の夏、出会った頃の彼女は私と同じA2.1.というドイツ語の基礎クラスにいました。それから半年でメキメキとドイツ語を上達させ、今ではドイツ語を駆使しながらドイツ人の建築事務所で働いているのです。果てしないと思われた彼女の目標は、確実に一歩ずつ進んでいるのです。そして彼女の目標には更に3年後、5年後、そして10年先まで見据えた未来がありました。

 

5年後と10年後の未来まで見据えている彼女が最終的に建築したい建物とは?

「建築家として、一番建築したい建物は何?」人の為に時間と労力を割くことを厭わない彼女は、「ソシアル・ハウスを建てたいの。」と答えました。ソシアル・ハウスとは、福祉施設のことで低所得者向けの住宅街を差しているようでした。彼女がこの考えを持つに至ったルーツは、ポルトガルにあります。

ポルトガルでは歴史的な背景により(以前アフリカの一部を植民地化していたので)アフリカ系の移民が多いのだと言います。その為経済的に貧しい彼らに住居を与える為に、政府が箱形の高層アパートを建設し、政府はこのようなアパートの一室に彼らをそれぞれ住まわせたとのことでした。しかしアフリカの人々は、密接なコミュニティーを形成すること、何よりも地(地面と言いますか、とにかく高い所ではない)に根ざして生活することに居心地の良さを感じる習慣があるとのこと。その為、狭い箱のような高層アパートでの暮らしは彼らの精神状態にも影響を及ぼし、ゲットー化(スラム化といいますか、治安が良くなくなる状態)になってしまったとのこと。

「ソシアル・ハウスを作るにはね、ちゃんとしたソシオロジー(社会学)も身に付いていないといけないのよ。住む人のことを理解していないと、ピッタリな居住環境は作れないでしょう?その一環として、私は自分の目でアフリカの土地が見たいし、体験して学んできたいのよ。」ここまで真摯な人が作り上げるソシアル・ハウス。ここまで住む人のことを徹底的に考えようとしている建築家。彼女が眩しくて眩しくて、私は何度も泣きそうになりました。「建築家は死しても、その建築物は残るわ。もし建築家に名があれば、その建築物が取り壊されることはほとんどない。建築って、素晴らしいのよ。」彼女のポリシーにはもの凄い熱量があります。将来的には日本でも建築を行なってみたいとのこと。その際は是非とも彼女に色んな建築物を見せて回りたいと思いました。ベルリンの劣悪な就労環境に負けない、確固たる意志を持った素晴らしい友人です。

 

自分の人生を設計する生き方。「人生が自分の手元に戻ってくる感覚」を感じた日本人の友人。

ポルトガル人の友人は、まさに自身が設計した人生を生きています。私も試行錯誤を繰り返しながら、結果オーライ!な適当さも併せ持ちつつ、何とか好きなように生かされていると思います。そんなとき、別の日本人の友人から「ビザ取得頑張ってね!」とのメッセージが届きました。そんなこんな日本人の友人だって、実は日本で頑張っているんです。

前職の同僚であった彼女は、退職後に広島のホステルで働きながら、より密接に地域とかかわり合い、お客様とふれあい、そして様々なイベントに関わっては、先日地元主催の映画祭で賞をもらったそうです。その彼女がFacebookにて「人生が自分の手元に戻ってくるような感覚」と記述していました。いつだって、遅くない。今からだって描ける。私はベルリンから始め直してみたけど、日本のどの街から始めたって良い。同じ職場、同じアパートから何か小さな変化を起こしたって良いんです。どうか私の文章が『ヨーロッパのどこかの若者の話』だと思わずに、『世界中の若者は同じ』だと感じて頂ければ幸いです。日本にいたって環境や条件は簡単ではないし、難しい物も、優遇される物も同様にあるはず。どのようにその環境のメリットとデメリットを見つめて判断して活用して行くかは本当に個人次第。だからポルトガルの友人や、広島の友人の話が、アナタにとっても身近な話として伝わりますように。人生を手元にたぐり寄せて行きましょう。きっと素晴らしい感覚です。