ベルリンから人生敗者復活戦。

ワーキングホリデーの失敗談を綴る。その失敗の過程と、失敗から出直す、敗者復活戦の過程も勝手に配信する。

長崎出身のクリスチャンが観たマーティン・スコセッシ監督映画「沈黙—サイレンスー」

Sony CenterにあるCine Starにてほぼ字幕無しのオリジナル言語で鑑賞してきました。

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長崎県出身のクリスチャンとして生きてきて:信仰の始まりと喪失、そして再び信仰を見いだすまで

私はキリスト教徒になった覚えは無い。この世に生を受けてから、間もなく両親によって、私は赤ん坊のうちに洗礼を受けてキリスト教徒になっている。洗礼名として聖母マリア様(イエズス・キリストの母親)の母親の名前を貰っている。このように気がつけば自然とキリスト教徒として生まれ育ってきて、毎週末日曜日は9時から始まるミサに参加する為、8時から放映される仮面ライダーやプリキュアのようなアニメを全て見終わることが出来なかったことを覚えている。子供の頃の私はよく分からないけれども当たり前に教会に通っていて、神父様やシスターと言った教会に関わる人々に間近に接して生きてきた。賛美歌を歌う聖歌隊にも所属していたし、保守的な田舎町において初めての女の子のミサ使い(神父様と一緒に祭壇に立って、ミサの手伝いをする子供のこと)も勤めた。自分の担当の曜日には、6時から始まるミサに合わせて随分早起きをしなければならないにもかかわらず、私は4年生から初めて6年生まで勤め上げた。一度も寝坊や欠席をしたことが無かったと思う。ここまで真っ当にキリスト教徒として育ってきたからこそ、私は純粋に神を信仰していたし、キリスト教徒の教えを感じて生きてきた。だからこそ、この潔癖さ故に、私は一度信仰を失っている。

私は早熟な子供であったと思う。両親の離婚を経験したのは10歳で、長崎は母の実家であった。幼少期に通った教会は都市にあり、そこには外国籍の子供もいれば、様々な人々が、そして多くの人々が各地から通ってきていた。だからこそか、その教会はより組織化されていたと思うし、また神父様やシスター以外にも熱心な信者さんが尊敬されていて、シスターや神父様は絶対的な権威と言うよりも身近で親しみのある存在に思えていた。

一方、長崎の片田舎の小さな町に置ける神父様やシスターの絶対的な存在感や、熱心な信者による「神父様」という極端に敬い奉る姿勢は私には奇妙に思えた。物心がつくようになり、また知恵も価値観も身に付いて行くにつれ、神様の教えを問いている神父様が「明日から禁煙」というふざけたポスターを貼って、その前で笑いながら煙草を吸っている姿に混乱を覚えたし、極めつけであったのは子供を叩くシスターの存在であった。私が信仰を失った決定的な出来事は、ミサ使いの仕事を終えた直後に起こった。

とても大きくて重たいロウソクの火を消そうとした時、背が届かないため、どうしても一度ロウソクを台から外す必要があった。その時の私は非力であり、ヨタヨタとよろめいてしまった。その瞬間にシスターは「ロウソクの鑞を絨毯に零さないように!」とキツく𠮟った。でも私はその言葉に驚いてロウソクを傾けてしまった。熱く溶けた鑞が落ちてきて、私の手の甲を焼いた。それでも私は何とか持ち直して、ロウソクを元に戻し、火を消した。駆け寄ってきたシスターは開口一番に「だから言ったでしょう!絨毯が汚れたじゃないの!」と私を叱りつけた。私は火傷した手の甲をさすりながら、この人に信仰などないと確信した。どうして私の傷に共感を覚えないのか。弱き者、幼き者に哀れみの気持ちを持てないのか。彼女の聖書の教えにそぐわない行動ばかりを見てきていた。小学校を卒業してから、私は同時にミサ使いも聖歌隊も卒業して、それ以降は嘘のように教会から距離をとった。ミサに来なくなった私のことをシスターが「あの離婚した家庭の子供は教会に来ない」と、悪く話していることを人伝いに聞いた。

またキリスト教徒の儀式の一つとして、堅信式(けんしんしき)と呼ばれるものがある。洗礼が両親の希望によって赤ん坊の時に授けられること、また6〜7歳頃に勉強して受ける初聖体(はつせいたい:初めてキリストの身体、つまりパンを頂けるようになること)の儀式とも違い、堅信式は14〜15歳頃、つまり物事の分別がついた時期に行われる。本当に自分の意志でキリスト教徒になる、その機会が堅信仰式であり、教会で一般の信者として認められる式なのである。この式の為には通常一年ほど書けて教会で勉強会が行われ、勉強内容を確認する筆記試験だってある。この勉強会に私は3回ぐらいしか通っていないと思う。ただ母親の希望もあったし、キリスト教徒であること自体に抵抗は無かった(その当時の、その町の教会が好きになれなかっただけだったと思う)ので、私も堅信式は受けたいと思っていた。そこで聖書を自分で読み込み、友達から資料のプリントなどを貸してもらい、自分で勉強したのである。皮肉なことに筆記試験の結果、私は一番の成績を取った。もちろん神父様は成績が一番の者を認めないわけにはいかなかったのだと思う。この時の神父様はすでに「明日から禁煙」のふざけた神父様ではなかった。教会の神父様にも任期があって、数年ごとに別の教会を担当するのだ。この時の神父様はアメリカにも留学したことのある、見聞の深い40代ぐらいの神父様だった。名前だって覚えている。この人に私は呼び出された。

「お勉強ができるだけでは、キリスト教徒として認めるわけにはいかないんだよ。」当時の私はものすごく皮肉れてしまった子供だったので「毎週一回、一年も勉強会に通っていた人達がどうして私よりもいい成績を取れないのか理解に苦しむ。所詮教会の教えとはその程度の物なのか」という怒りすら持っていた。神父様の言葉にはカチンときたし、顔にも表してしまっていたと思う。私の気持ちを汲み取った神父様は「だから貴女には堅信式で、信者としての役割を担ってもらいます。」そういって私に、毎年3人にしか任されない聖書の一節を読む役割を与えて下さった。今にして思えば、この人は私の心の中での信仰への想いを汲み取っていて、手を差し伸べて下さったのだと思う。当時はまだ分からなかったけれども、今はこの神父様に感謝している。私が唯一名前を覚えている日本人の神父様はこの人だけなのだ。あんなに忌み嫌っていた教会であったのに、堅信式ではとても穏やかな気持ちで式に臨む自分に驚いた。それから私が失った信仰を取り戻したのは17歳のときである。

アメリカに留学する機会を得て、その時お世話になったアメリカ人の家庭が熱心なキリスト教徒であった。毎週末通う教会で私はよく眠りこけていた。英語のシャワーに耳が疲れ果てていたことと、色んな陰口やプレッシャー、そんな余計なパワーで疲れることの無い、完全なる静寂と信仰の場を初めて体感して、私は心底安心し切っていた。その地でお世話になった教会の青年グループも素晴らしかった。アメリカの妹は恵まれない人々の為に家を建てるプロジェクトに参加する為、メキシコにまで行っている。アメリカの母も父も、とても苦労をされた人達であったけれども、驚くほどに人格者であった。その二人に育てられた妹は、まさにアメリカのキリスト教徒、といった正しい価値観と正義感に突き動かされるタイプの人間である。彼らと過ごす時間で、私は自身の信仰を取り戻したし、この時初めて自ら選んでキリスト教徒になったと思う。

その後大学に進んだ私は、アルバイトでお金を貯めては世界中を旅して回った。メキシコの奇跡の地、グアダルーペのマリア様にも会いに行ったし、ローマではバチカン市国を訪ね、当時のローマ教皇の祝福をサン・ピエトロ広場で受けたりもした。人生に悩んだときはスペイン北部にあるキリスト教徒巡礼の道、エル・カミーノと呼ばれる道を歩いた。ひたすら300km歩いて歩いて、サンティアゴ・デ・コンポステーラと呼ばれる大聖堂で世界中の人々とともにミサにも出席した。キリスト教徒の三大聖地といえば、イスラエルのエルサレムを訪ねてしまえば最後である。27歳でキリスト教徒の聖地をこれだけ巡っている日本人も少ないことだろう。

前置きが長くなったが、私は祖母のそのまた前の代からキリスト教徒であり、生まれた瞬間からキリスト教徒でありながら、信仰を無くし、そして再び取り戻すと言う、葛藤も経験したキリスト教徒である。そんな私にとって、遠藤周作氏の「沈黙」はとても重要な小説であり、また同様にこの映画は公開前から必ず観たいと思っていた、とても思い入れのある作品である。

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私と遠藤周作とキリスト教

私のキリスト教感は一般的なキリスト教感とは異なると思う。正式なキリスト教、カトリックでは婚前交渉も、堕胎も、避妊も認められてはいない。同性愛も、まだ認められていない。しかし私はこれら全てを肯定しているし、だからといってキリスト教自体には反感を抱くことも無い。たとえキリスト教の神父様による児童虐待や不正のニュースが出ようとも、教会としての権威が失墜しようとも、私の中にあるキリスト教感は失われることは無い。私はキリスト教こそ「一番人間臭い宗教」だと思っているので、今更人間のエゴが噴出しようが怒りや嫌悪を覚えても、それ自体に失望したり驚きはしない。

人間は間違いを犯す、弱く、醜く、そして時に醜悪である。教会もまたその歴史は消して美しいものではなく、免罪符と言う金にまみれた歴史や、異教徒弾圧の歴史、そしてラテン・アメリカ侵略時の強制的な布教活動などは決して誇れるものではない。歴史家が研究、指摘し、また皆さんが感じる通りに間違った行いをしてきた宗教でもあると思う。

ただし、その中で神を信じ、その教えに沿って生きてきた人達もいる。マザー・テレサなど有名な人をあげればきりがないが、私が一番感動したのは長崎県にある浦上天主堂にいらっしゃったご老人のシスターであった。長崎から関西の大学に進学する前、私は長崎人として長崎の原爆資料館を訪ね、また原爆被害を受けた教会をこの目で見る必要性を感じた。長崎の路面電車に乗って、辿り着いた浦上天主堂は今なお原爆で焦げた天使像をみることができる。教会で静かに祈りを捧げ、帰る前に入り口で小さな買い物をした。そこにいたシスターはとても年を取っていたけれども、それまで出会った誰よりも幸せそうな、まさに「満ち足りた」という表現がふさわしい顔をしていて、彼女の神の道に生きていると言う充実感に圧倒されたことを覚えている。このような人生を歩ませる神の力。私はこの時、たとえ神という存在が存在しようがしまいが、神を信じる人々のその精神性を信じようと心に決めた。だから現在も私に取って神様とは私の心の祈りを捧げる対象であり、イエズス・キリストとはその対話の間に入ってくれる、直接の対話相手である。その為、イスラム教や仏教であれ、どのような宗教を持っている人に対しても対話相手が異なる人という認識を持っていて、結果的には同じ神様に向かって祈っているのだと思っている。

遠藤周作氏の「沈黙」を読んだ時、私は驚いたのだ。それまで私は「このような独自の解釈の元にキリスト教を信仰している自分」をどこかあまり肯定出来ないでもいた。しかし「沈黙」を読み、また作中のロドリゴ神父の葛藤を読む中で、彼が最後に辿り着いたキリストの存在の認識の仕方の変化、またその結論の出し方に親しみと共感を覚え、そして初めてキリスト教徒として肯定された気分になった。私が「沈黙」を読んだのは、バチカン市国からの帰り道である。

 

ローマ、バチカン訪問後に読んだ映画原作小説「沈黙」

私はまず、20歳ぐらいの時に遠藤氏の「海と毒薬」を読んでいる。人間の罪悪、また戦争の傷、人々の過去、そのようなものを読みながら、私は実家の九州や、また自らの家族の歴史を振り返っていた。この作品が「戦後とは祖父母の時代の話だけではなく、今現在の私にまで影響を及ぼしている」と感じるキッカケとなり、長崎に帰省した際に母に頼んで二人で長崎県の東出津町にある遠藤周作文学館を訪ねた。海を真下に見下ろすことの出来る場所に位置するこの文学館には、遠藤周作の作品、また実はユーモラスでもあった人柄を知ることが出来る資料が沢山残っておりとても興味深かった。まだ一作品しか読んでいなかったので、その文学館で購入したのが「沈黙」であった。この東出津町が隠れキリシタンの里であり、また沈黙の舞台になった場所であったからかもしれない。私は何故かこの本をずっと所有しながらも、なかなか読まなかった。「この本を読めば、私のキリスト教感に影響が出るかもしれない」という怖れがあったのだと思う。当時は強い信仰心を自覚していなかったし、教会にだって年に一度行けば良いぐらいであった。だから私はあえて「バチカン市国に行ってみて、キリスト教徒としての最高の体験をした後に、その帰り道に読んでみよう。」と決めたのだ。自分の信仰心を実験してみたかったのかもしれない。それから2年、私は22歳の時に「沈黙」を読んだ。5年前のことである。

「沈黙」では自らと、そして自らが愛する信者達が虐待され、棄教を迫られる中で神に自問自答するロドリゲス神父の葛藤が描かれている。信者の虐待で呻く、苦しみの声を毎晩聞きながら、発狂しそうなほどに苦しむ神父は「なぜ貴方は沈黙するのですか?」と神に問いかける。「神は存在すらしないのではないか?」と疑念まで抱く。しかしその苦しみの中で、驚くべきことに彼は「イエズス・キリストもまた、迫害を受け、苦しみに苦しんだ。今の自分の体験のような体験をしたのだ。つまり私はイエズス・キリストの追体験が出来ている。彼を一番理解出来る状態にある」と喜びを見いだす瞬間が合った。私は、ここに一番の衝撃を受けた。信仰心がある人は、最大の苦しみの中で、その中にすら神を感じることが出来るのか。そしてその信仰心により、その苦しみの中でも自らの生に意義と尊さを見いだし、更に充実感すら感じている。人々にとっての幸福が、またその測り方が、その人に中にあるということ。この事実に私は衝撃を受けたし、救いすら感じた。長崎の浦上天主堂で感じた「信仰は教会そのものでも、教会の権威の中にでもなく、神を信じる人々の中にある。」この考え方を肯定されたと思った。つまり私は、バチカン市国を訪問し、信仰を試すように「沈黙」を読んでみたが、更に私の中での信仰心を強固にしただけであったのだ。

 

日本と言う土地は「信仰の芽が芽吹かない泥沼」なのであろうか。

映画でもひたすら繰り返し描かれてきた「日本と言う土地は信仰の芽が芽吹かない不毛の土地である」というテーマに関しては、半分異議を唱えるし、半分はその通りだと思う。まず、時代としてキリスト教徒にすがった人々は貧しい農民が大半であったと思う。

小松奈々が演じた少女信者の台詞にも合ったように「天国ってとっても良いところなんでしょう?重労働も無いし、重税も無い。皆が幸せに暮らせるところなんでしょう?」と、キリスト教が説く天国へ召されること、それ自体に現実逃避的な救いを感じていたのだと思う。いっぱい神様に祈って、きちんと告解をして罪を清めれば、現世の苦しみから解放されて優しい神様のところへと旅立てる。だからこそ作中でも、「死ぬことが怖くないのか?」と、がなるように問いかけるロドリゴ神父に対し、「死ぬことは怖くないのに、どうして?」と不思議そうな顔を向けるのだ。それぐらい当時の生活は過酷なものであったのだろう。だから、彼らにとって「祈り、罪を清めれば天に召される」という教えはまさに救いであり、キリスト教そのものの教えが素晴らしかったからかと考えると、当時としては斬新でかつ単純化された教えが魅力的だったから飛びついた、とも想像出来る。だからこそ、当時はそれ以上の深い信仰心をもつことは難しかったのかもしれない。この点から真の信仰心、というものは芽吹き辛かったと思える。

また先に棄教したと言われているファレイラ神父が口にした「彼らはキリスト教を理解してなどいない」という発言は、そもそものキリスト教を布教にきた神父らの簡略化した教えによる弊害であるとも思える。当時の異国の地で、外国籍の神父らがキリスト教の教えを細かく伝え切れたかは疑わしく、簡略化して伝えたと想像出来る。(実際に、キリスト教では偶像崇拝はそもそも禁止されているにもかかわらず、至る所にマリア様像などが置かれているのは異教徒に布教する際に形にした方が布教し易かったから、という利点から始まっている。)この点から、日本人にも信仰心はあったけれども西洋の生まれながらにしてのキリスト教徒としてのキリスト教感とは異なっていたと思うし、また布教した神父達自体にも当時とては限界があったとも考えられる。私は歴史家ではないのでもし間違った解釈をしていたら申し訳ないだが、当時の日本のことを思えば「信仰の芽が芽吹かない泥沼」と言われても、半分は肯定し、半分は違うと言いたい。たとえ不完全でも信仰心そのものは真実であったからだ。

 

キチジローが告解(懺悔)し続ける理由の解釈は「告解することで罪を許されたいから」それだけなのか?

作中では何度も窪塚洋介演じるキチジローが「Padre (パドレ:現在のスペイン語で単純には「父」を現し、日本語で「神父様」を意味する単語)」と呼びかけながら、何度もロドリゴ神父にすがりついてくる。「罪を告白させてくれ。罪に苦しんでいるんだ。」と堪らない形相で訴えかけてくる。ロドリゴ神父はキチジローを軽蔑しながらも、何度も告解に付き合い、そして罪を許してやる。一緒に映画を鑑賞したイタリア人は、キチジローが告解したいと現れる度に鼻で笑っていたし、「彼は告解したら罪が許されると思っているから何度だって告解にやってくる」と軽蔑気味に感想を口にした。でも私はキチジローの別の台詞に胸を締め付けられて、とても苦しかった。

「もし時代が違えば、俺だって良いキリスト教徒になれたんだ。でもこんな時代で、俺は弱いから、怖くなって踏み絵を踏んでしまった。弱い人間はどこに行けば良い?こんな時代の弱いキリスト教徒はどうしたらいいんだ?」とロドリゴ神父にすがるシーン。実は、このシーンこそがこの映画の命題であり、遠藤周作自身が描こうとしたキリスト教感であると思う。彼自身もキリスト教徒として「身体に合わない服を着せられたようだ」と違和感を感じ続けていたし、その中で感じ、考えた想いを持ってして「沈黙」を書いているからだ。キチジローこそが遠藤周作でもあるし、また私自身でもあると思った。私もまた一度信仰を失っているし、そして遠く離れた異国の地で信仰を取り戻しているからだ。もしあのまま、あの町を離れなかったら。強烈な異文化でのキリスト教感を体験しなかったならば、あそこまで深く刻まれた不信感を拭えなかったと思う。私もまたキチジローになり得ていたし、またいつだってキチジローになりえるのである。

彼がすがりついてでも行いたいと思った告解は、自らの罪を許されたい、という神からの救済を求める自己保身もあったかもしれないが、それ以上に「キリスト教徒でありつづけたい」という信仰心そのものの表れである。もし彼に信仰心すらなければ、告解も神からの救済も意味をなさないからだ。冒頭でロドリゴ神父が感じた「キチジローの瞳の中に見た、キリスト教への信仰」は間違っていなかったはずだ。彼も本質的には分かっていたからこそ、最後は付き人として側に置いたのかもしれない。しかし、それ以上に信仰の前に殉教して行った信者達を思えば、口が裂けてもキチジローを認めることは出来なかったであろうが。

 

映画「沈黙—サイレンス—」は常に「自問自答し続ける」人に響く映画

この映画は「信仰心」の問題だけではなく、「他方で正しいとされていることが、一方では正しいとは限らない」という真理も描いている。西洋文化で是とされているキリスト教も、日本では「頼むから止めてくれ」と言われている宗教だったのだ。「その地に信者がいる限り、神父が赴く義務がある」という使命感に燃えて旅立って行く若い神父様達にはすごく心苦しかったが、井上様なる侍達が「キリスト教はこの地には不要だ」と何度も言い聞かせる台詞が、単純な拒否ではなく充分な審議の結果至った結論であることからも、彼らの布教活動はすごく乱暴に言ってしまえば「傲慢なお節介」であったとも感じた。(画面に映る信者達が私の祖先と言っても違いないとも言うのに。)

またロドリゴ神父の葛藤や結論に至る過程から、誰が何と言おうとも真実、また信仰は自分の胸の内にある、という真理が見えてくる。情報が氾濫し、でも「空気」や「世間様」という法律以上に効力を発してくるプレッシャーや他者の目の中で生きる現代の日本人には、この映画を「自問自答の映画」と考えてもらえればとても響くと思う。何がヨシとされ、何がヨシとされない社会で、自分は何を選び、生きて行くのか。ロドリゴ神父の葛藤は、現代日本人でも共感出来る部分があると思う。

アメリカ人であるマーティン・スコセッシ監督自身も敬虔なクリスチャンの家庭で生まれ育ったそうだ。キリスト教徒としての葛藤を抱えていた彼自身が、遠藤周作氏の「沈黙」を読み、深い感銘を受けたと言っている。だからこそ映画化の権利を25年前に習得し、何度も計画が頓挫しながらも、こうして今、映画として完成させているのである。監督自身が自問自答し続けてきたからこそ、この映画は日本政府側の人間、布教側の人間の両側の意見をきちんと公平に描いているし、観客に問いかけるメッセージも明確かつ重みがある。監督の思いに応えて、全てのキャストがまさに身を削って演技をしていた。肋骨が浮き上がるほどの減量や、日本人キャストは美少女の代表格、小松奈々に至るまでキリシタン役の者は皆ひとしく小汚いみすぼらしい歯になっていた。爪の先まで、皮膚の皺までこびりつくように泥にまみれていた。作り手の本気を感じる映画であったと思う。遠藤周作氏も、天国から拍手を送っているだろう。

 

約3時間もある長編映画であり、仕事終わりに気軽に観に行く類いの映画ではない。もしかすると、DVD化を待って、自宅でゆっくり鑑賞する方が良いかもしれない。ただ、劇場鑑賞後に、エンドクレジットで流れる、ただただ蝉の声、そして夏の音。その沈黙のようで沈黙ではない演出に、私はもの凄く感激した。これがDVDだったらここまで感激しなかったとも思う。圧倒的な映画鑑賞後のエンドクレジットを体感する為に、映画館に行かれるのも良いと思う。

ものすごく個人的で、かつ半分以上が直接映画に関係のない私の身の上話になってしまっていたが、このように無駄に長い文章を最後まで読んで下さった方に感謝する。日本公開前作品でも、日本未公開作品でもなく、わざわざベルリンから書く必要も低い文章ではあるにせよ、この映画に関してはどうしても文章にしておきたかった。想いの丈が余りに余って約一万字も書いてしまいました。最後までお付き合い下さって、有り難うございました。

 

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